りんどう橋(再訪)

橋詰広場の竣工後、初めて橋を訪れた。

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橋全体が男のコ達の複合遊具になっていた。トラスによじ登り、高欄に飛び移り、ブレースにぶら下がり、案内板に腰掛け、親柱を撫で回していた。中でも、アバットの小さな隙間が子ども達の溜まり場になっているのには仰天した(ひんやりとしたコンクリの日陰が心地よいのかな?)。さすがに遊び場を見つける感覚が鋭い。

一方、大人と女のコ達は階段に座って、対岸を見ながら、のんびりとくつろいでいた。
「気持ちよさそう。」
そう話しながら、小生の隣に腰掛けた女のコがいて、胸が熱くなった。 


d0065332_1394770.jpgアバットの付近で遊ぶ子ども達。危ないからと母親に注意され、その場を離れたかと思ったら、親の目を盗んで、すぐに戻ってきた。
d0065332_0402733.jpg小生とともに、男のコが右後ろでキメポーズ。写真を見るまで気がつかなかった。
d0065332_05939.jpg桁裏。
この橋の中で一番好きだ。
d0065332_0295266.jpg橋詰広場の脇に、それっぽい階段が設えられていた(セルフビルド?)。


都会的な洗練・華美とは違うデザイン。そのコンセプトに対し、当初どう手を動かせばいいのか、わからなくて困った。結果を言えば、小生の担当した橋梁付属物及び橋詰広場は、シンプルで控えめの、エッジのやや丸いデザインとなった。
このプロジェクトを通して学んだことの1つは、サイトが都会でない場合のデザインの考え方だったと思う。クール⇔ダサいの評価軸では測れない場所で、どのようなデザインを目指すべきか。私の得た自論は、本質的な居心地のよさを追求する他はないということだった。そして、それには、この場における主役・脇役・悪役の明確化と必要な演出の実行、それから人の感覚が自由に発揮できる余地を空間に与えることが大切だと考えるに至った。
ディテールについては、自分の技量不足でやり残したことも少なくない。設計後に、なんでこうなっちゃったのという不満もある。けれど、今回現地を訪れて、橋、川、人の3者が、とてもよい距離感で向かい合っているのを見ることができた。「気持ちよさそう」とか「きれい」だとか、橋を訪れた人の素直な言葉を聞くことができ、コンセプトに適う場所になったのかな、と思った。

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ところで、この日、両親を連れて橋を訪れた。浜松から往復10時間のドライブは大変だったけれど、叶えるべき夢を叶えることができ、うれしかった。
ただ1つ残念だったのは、足の不自由な父が座ることができるベンチがなかったことだった。まだ、すべてが仕上がっていない。早く整備されるか、あるいは、その不自由さに気づいた誰かが、それとなくベンチをこしらえ、そこに陰をつくる木をしれっと植えてくれるといい。
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by neko1dozen | 2010-04-14 00:51
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