新春コラム:「ジャンクション」
母方の実家はお寺で ―まぁどこにでもあるような街の小さな寺なんだけど、本堂のすぐ裏山が第二東名の計画地で、ここ数年はずっと工事中だ。毎年の帰省には、皆でおせちを食べた後、従兄弟達と、この工事現場をぷらぷら散歩することが正月の恒例行事になっている。

d0065332_16382629.jpg(第二東名
山切1号高架橋)

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今年は一気に工事は進んだようで、構造までだいぶ見えてきてた。ここはちょうど東名と第二東名を結ぶ連絡道でもあり、ジャンクションやインターチェンジやら、スケールの大きい構造物がどんどんどんと並んでいく。
いやはや、昔とはすっかり変わってしまった。かつて野苺をバケツで何杯も採った石垣も、運搬用のミニモノレールが延々と伸びるミカン畑も、もうここの風景ではない。


d0065332_16432527.jpg(伊佐布IC周辺)

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「山がなくなって、寂しくない?」
そう聞くと、従兄弟は首をひねった。ここでヒアリングっぽく畳みかけてしまうのが悪い癖なんだけど…
「今の東名よりもずいぶんすっきりして、きれいに見えるでしょ?」
そう聞くと、従兄弟はまた首をひねり、今ある東名と同じじゃん、と答えた。

第二東名というのは、景観や環境に対して少なからずの配慮がされている(はずだ)。ちなみに昨年の土木学会景観・デザイン賞優秀賞を受賞した第二東名芝川高架橋からも程近く、個人的にはここの高架橋も整った形をしていると思う。それなのに ―まぁ幾分は予想はしていたとはいえ、ここまで無関心というのもちょっとショックだった。


どんなにきれいなものをつくろうとも、見る人が目を向けなければ、像を結ぶことはない。「きれい、きたない」あるいは「守る、壊す」の議論の前に、「人々には見えてない」ということが本質の問題なのかもしれない。


d0065332_19571067.jpg(尾羽JCT周辺)



もっとも小生も同じことだ。工事が始まった頃、かつての里山の風景が無くなってしまったことはあまりにも寂しかったし、ずいぶん批判的に見ていた。それが今はその寂寥の感も薄れ、「陰影の表情がいいなぁ」とか「橋脚と桁のつなぎ部分が好きだ」とかマニアック?な目を養ったことで、ずいぶんとまぁ勝手な風景の見方をしている。これって少し怖いことだけれど。


d0065332_2094628.jpg(伊佐布IC周辺
2006年正月に撮影)


どうすればいいのか? それはまだわからない。ただ一つ、どんな専門へ進もうとも、一般人としての感覚を忘れないようにしたい。山が無くなってしまった時の悲しさだとか、初めてコンクリートを見た時の冷たく暗い感じだとか…etc  この日、そんな当たり前の感覚を思い出した。
この場所は、一般人としての自分と専門家として歩み始めた自分とが交錯する、まさにジャンクションのような存在なのかもしれない。2つの感覚が行き違うことがないように、戒めとして、毎年元旦にはこの風景を見続けていこうと思う。
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by neko1dozen | 2008-01-03 20:13
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街と山と猫と        おいしいごはん
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