すごっ晴れの金曜日、
孤高の集落を訪れた。 「ひょえ~」と、思わず声が出てしまうくらいの急斜面に集落はあった。石積が幾重にも続き、古く立派なお宅と小さな畑を守っていた。集落内に3軒のお宅があって、それぞれに屋号がつけられている。もっとも高い場所にあるお宅は「空(そら)」というらしい。 ここの石積には寿命があると聞いた。うまく積めば200年300年、普通なら100年、素人が積めばものの数十年で崩れてしまうらしい。もっとも、人生80年、コンクリート100年って比べてれば、そのスケールったら半端ない。 ともかく、その寿命ある石積には絶えず世話が必要なわけで、その世話をこの集落に住む、たった1人の方がされていた。石積のほか、畑や山林の世話など、集落のあらゆることを担がれている、いわゆる何でも屋の方だった。その方に話を聞かせてもらったんだけれど、これがまた目から鱗。1言1言が、まるで忘れてた思い出のように、心を打つ強さをもっていた。 「石積もやり方も、道具の使い方も、誰が教えてくれたというわけではない。見よう見まねで覚えいった。」 「大切な道具は自分の頭で考えて、自分の手でつくる。店で売ってるものだからって信用したらダメだ。」 「その日が晴れたら畑や石積の手入れ、雨が降ったら道具の手入れ。訪れる人がいれば、仕事をとめて集落を案内する。」 「訪れる人は、1人の方でも案内する。そうして人が喜んでくれることが、いきがい。」 いやはや、すごい。理論や設計図に基づくエンジニアリング側の人間からみると、こういう人や仕事って、異世界のモノに思える。人1人の手でできることってこんなにあるんだと、憧れの眼差しでみてしまう。 けれど、この日、人を感動させうる仕事の根底にあるのは、思いやりと経験とエネルギーなんだと思った。めちゃめちゃシンプルな結論だけど、思いがけない励ましをもらった気がした。よし、小生は小生のやり方で日々がんばっていこう。
by neko1dozen
| 2009-06-20 11:12
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